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『雲のむこう、約束の場所』感想

 「失われた10年」とは、私の場合、当たり前の学生生活を指します。

 普通の人なら当たり前に送っていたかもしれない学生生活。校庭、教室の匂い、夏の日の思い出、そういったものが欠如している人間にとって、新海誠の前作、2002年の『ほしのこえ』は鮮烈な作品でした。
 お前、そんな失われた10年のことを世間に知らしめていいのか?と。
 誰もが「共有した世界」としてあのシーンの一つ一つを受け入れたのかもしれないのですが、私にとってこれほど「あったかもしれない世界」、つまりSFの領域の日常を描いた作品はなかったかもしれません。
 さらに小憎いことに『ほしのこえ』はベースがSFの物語であり、逆に全体を通して、それを鑑賞すること自体がメタSFの領域だったといえるでしょう。


 『新現実』(角川書店)に掲載された「塔のむこう」を見たのが同年2002年。
 知人からこれが新海誠の新作のモチーフになっていると聞かされ、期待したのを思い出します。「塔のむこう」は得体の知れない「塔」とそれに惹かれる少女の日常を描いた作品でしたが、ジュブナイルSFというべきそれらを撹拌せずに自分に引きつけて読んだのは、「失われた10年」を取り戻す試みだったのかもしれません。

 今回の『雲のむこう、約束の場所』はその「失われた10年」の集大成とも言うべき作品で、虚構という映画の本質に(ある限定された鑑賞層にとっては)向かっている作品といえます。
 主人公、沢渡佐由理の女性像が恐るべき古さだとか、世界観の説明不足などといった障害は、我々幻影を観る者にとってはささいな「事実」ではあります。
 ひょっとしたらあったかもしれない10年が、平行世界の物語というのは皮肉かもしれませんが、それは新海誠監督の優しさでもありましょう。富野監督に通じるこのメッセージを受けて、この後の10年を厳粛に受け止めていく次第です。

 現在は渋谷の単館上映ということで、ものすごい混雑が予想されたんですが、私がいった休日の本日は5分前に行っても座れる事は座れた、という状況でした。よっぽど「ハウル」に食われたんでしょうかね。実は「ハウル」もテーマ的には同じ、という話を聞きまして、今から楽しみです。