後でまた書き足すかもしれませんが。
昨日の日記に書きましたが、itojunさんが2007年10月29日に故人となりました。
2007-10-29 プログラマー 萩野純一郎さん死去 37歳 - deadman 2 〈訃報系blog〉
追悼になるかどうか解りませんが、書き残しておこうと思います。
itojunさんと初めてお会いしたのは、私が2005年からずっと関わっていたワールド コンの定例会議の席だと思います。2006年に確か一度来られていて、その時はネットワークにむちゃくちゃ詳しくて英語も話せる強力な人がスタッフが入ったという事を何となく聞き頼もしく思いました。
皆様、ご存知の通り私は英語が全くできないので、独りでもそういう人が増えるといいなと思っていたのです。
つまるところitojunさんがどういう方か、というのは全く解っておらず、委員会の新メンバーという認識だったのです。
2007年X月から(手元には正式な記録なし)定例会議に毎回出てきていて、ネットワーク関係で適切な助言とアドバイスをされ、MLでの発言量も増えていきました。もちろん私はPCに疎いので、技術的な事はさっぱり解らず(←バカ)MLの文章も半分程度しか理解できないという意味では英語と同じでしたが、活動的であるという認識は得ました。
委員会仕事をしていく中で、当然の事ながらML内で衝突などもありました。
詳細は書けませんが、全員が楽しめるにはどうしたらいいか、その為に余計な事やムダな事は省く、という姿勢だったような気がします。これは全くの私見ではありますが、今になって彼のネット上の文章を読んでいると、あながち外れでもなかったのかなと思います。
(メモ:「掲載すると(もし火があるとすると)火に油です」発言のときとか、自分の問題でもあるので、すごく悩んだものの、上手く対応できませんでした。「火に油」という事に対して全面的に賛成ではなかった訳ですが、じゃあどうすればいいのか、という事がいまだによく解っていません。それをここに書くべきではないかもしれませんが、いまだに悔やんでいる事の一つです。後で見返して、考えるところもあるでしょう)
衝突といえば、その後、mixiのスレッドでゲスト・オブ・オナー制とゲスト招待制に関する発言があり、様々な持論を展開しておられました。だんぜんGoH制寄りで、やや過激な発言もあったのですが、Smofやデンバーにも行くとおっしゃっていたので、将来に対する啓蒙の意味もあったのかもしれません。現在、いろいろな意見を拝聴して、この問題については私も結論を出せないままです。
開催前日ぎりぎりまでMLに投稿していて、初日にどうも大きなネットワークのトラブルがあったそうなのですが、その後に問題を解決して(どうやったのかは私にはよく解りません。誰かが記述しているでしょう)会期中は国内・国外参加者が皆、快適に無線LANを使う事ができました。「皆が幸せな事に自分の技術力と努力を惜しみなく使う」という意味では、彼の理想が実現されていたのかなと思います。その間、私は配線などに難儀して(人任せでしたが)、四苦八苦していました。
GoHであるデイヴィッド・ブリンの通訳としても大活躍をしました。これまた、技術的なことは不明なのですが、彼の英語はすごい知識量が必要で、itojunさん本人でないと訳せないというようなものだったそうです。
企画の見回りのときに横で訳して、観衆を沸かせていたのを観ました。私は企画を全く観る事ができなかったのですが、評判が良かったと伝聞で聞いています。
イベントが終わって、どうも彼がネットワーク分野ですごい功績を残しているらしい、という事をある所から聞いてネットで調べて驚きました。実の所、ここ数日でもっと色々な事を知る事になったのですが。
そんな事は全く知らず、彼の委員会に対する貢献だけが印象の大半を占めていたのです。
以下は10年前の文章。最近、10年offというのをやってバカ騒ぎしたのですが、ほぼ同年代でこんな人間がいたのかと脱帽。
97/10/06: boys be ambitious 少年(?)は荒野を目指す
以上、まだまだ書き足りませんが、彼がかのイベントで非常に大きな貢献をし、「ネットワークチームリーダー」として書ける、仕事を果たしたという事です。私? 私は何やっていたんでしょう。こういう事を書く為にいるかな。