映画の評価なんてものはテキトーで、毎回毎回、書くことが違う。
そんな私ですが、一つだけ決めていることがあるとすれば、自分はどうして映画を観るのだろう?と感じさせればOK、という事でしょうか。
『KILL BILL vol.2』はハッキリ言ってテンポが悪いんです。
クエンティン・タランティーノはほとんどコンテの描けない映画監督なので、vol.1の時も自分がオマージュを受けた映画のビデオをスタジオに持ってきて、「こんな感じで撮ってくれ!」と言ったらしい。
コンテが描けないので会話の台詞自体はよくても、二人で話すシーンが非常に単調で、vol.1のテンポやユーモアを期待してきた人は戸惑うと思います。
vol.1に動を持ってきたらvol.2は「静」なんだろうというのはアホでも解る演出でしょうが、それが直球過ぎる。
それでも、『KILL BILL vol.2』はすばらしい映画です。
個人が「すばらしい」なんて言ったところで全く意味を持たなくっても言わざるをえない。直球に対して、直球で返さざるをえません。
『KILL BILL vol.2』には一人の善人も出ません。出ている人間は一人残らず悪党。それがどう生きるか? 生きていった上で、何を残すのか?という事を映画上で示すと、不思議な事に「愛」に行き着かざるをえない。
vol.1でのさまざまな演出上のギミックに「そんなバカな」と笑ったのと同じぐらいのベクトルで、「愛」の発見に対して「そんなバカな」と言わざるをえない………これが、『KILL BILL vol.2』なのです。ゴードン・リューがパイ・メイを演じてユマ・サーマンをシゴき、デヴィッド・キャラダインがビルを演じて自ら殺される事を厭わない、全部が「どうして映画を観るのだろう?」という疑問に直結し、愛の残り香を感じる、それが『KILL BILL vol.2』なのです。
クエンティン・タランティーノにありがとう。
ユマ・サーマンにさようなら。
おめでとう。
おめでとう。