Radio CON$

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『ゴッド・ディーバ』感想

cry_condor2004-05-03


 たとえば、道をゆくカップルを目にして、その両者とも自分と全く関係がない事を、不思議に思ったことはありませんか?
 道を行くカップルがたまたま知り合いだった、なんて経験は三十数余年生きてきて一度もないんですが、自分と無関係な世界がすぐ近くで展開されている、という事に奇妙さを感じることがあります。何に似ているかというと、モダンホラーの怖さ。
 ここねさんがモダンホラーの定義を聞かれたら「怖くないこと」と答えたという話を引くまでもなく、モダンホラーの奇妙さには独特なものがあります。自分と一番距離の遠い感情を引き寄せるためにどういう物語的方策をとるか、それが近年のモダンホラーの課題です。

 私は主にホラー映画を観に行きますし、正直GW中は毎日ホラーを観ようか、と思っていたぐらいですが、今作も広義のホラーではないか?と思えてきました。ニューヨークやエンキ・ビラルの世界観、そこで繰り広げられる我々の知りえない神話。それらが映像という触媒を通じて何とか「こちら側」へ聖なる侵入を試みようとする、これもホラーなのでは?

 もちろん、道行くカップルの会話が個人的に面白い確率は少ないのと同様に、この映画との距離感も大きいので「ああ面白かった!」とは決して言えないんですが、GW中にやることがなくなって延々と映画を観続けているこの身に重ね合わせてやるせない気持ちになったのは確かです。
 主人公のニコポルは反体制の伝説的リーダーで30年間ブチ込まれていた、という設定らしいんですが、周囲の人間関係からはそれが全く解らない。つまり、復帰しても反社会運動を行うシーンが皆無なんですね。この事も、物語との不可知性を強めているような気がしてますますやるせない気分に。

 この映画、試写会で知人(名もなき人さん)が行って酷評していたんですが、その時は監督を知りませんでした。で、今日初めて「ああ、『ティコ・ムーン』のエンキ・ビラルか!」と知った次第。
 彼の映画はどうして物語性が低いかというと、幼少期に戦時下のボスニアにいたせいで映画で展開上必要な暴力描写が抑えられているんですね。要するに彼の漫画そのものを映画にしたので、ものすごいドラマティックな"動きのある"構図とかはないんです。
 絵が一枚あって、その間の会話でガンガン話が進んでいくというあちら(フランス)の漫画らしい展開です。今作も『ティコ・ムーン』に比べれば(あれも印象深かったけど)ちょっとは物語性がありますが、それもごくわずか。

 同じような話の展開である『フィフス・エレメント』とかと見比べればこの映画のよさが解るのかもしれません………。我々が死んでも、我々が百万分の一も接触しない範囲で映画は作り続けられるのだという事を再確認する一里塚にはなりました。