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エドガー・ウォレス他『キング・コング』(ハヤカワ文庫nv・他)

cry_condor2006-01-17




キング・コング (ハヤカワ文庫NV)

キング・コング (ハヤカワ文庫NV)

キング・コング (創元推理文庫)

キング・コング (創元推理文庫)



 皆様こんばんわ。
 いよいよ「読書感想しりとりリレー2006」が始まりました。第四走者をつとめさせていただきます。身震いする思いです。
 昨年のとりとりリレー忘年会の時に「長い」というご指摘を受けたのですが、今年も変わらず同じような調子・同じようなペース・同じようなカラーで書かせていただく点につきましては、ひらにご容赦願います。


 一月も半ばを過ぎまして新年早々にという事でもないのですが、口上から入らせていただきます。「読書感想しりとりリレー2006」におきまして、昨年に引き続き海外作品を担当させていただきます。日本の作品は一切、紹介いたしません。日本の作品が嫌いという訳ではないのですが、海外作品の奇想・異観を皆さんにも是非、味わっていただきたい………いや、それよりも味わっている所を観ていただきたいというのが、この脆弱なアプローチに対する正当な表現と言えましょう。


 2006年お初のお題が「実録鬼嫁日記」の「き」という事でして、喜びながらいろいろと考えました。
 もちろん、まっとうに行くならば我が「文学的守護神」ともいえるS・キングの名作『キャリー』にしておいて存分に書いた上に次走者に「り」などというろくでもない文字(いや、「ず」よりマシか)を回して悦に入る………というのをやりたかったんですが、生来のひねくれた心の虫が悪さをしまして、今作を選ぶことに相成りました。


 さて皆様、このお正月映画の目玉、ピーター・ジャクソン監督の『キング・コング』(2005)はご覧になりましたか?
 噂では『男たちの大和/YAMATO』などという国辱ものの映画に大敗を喫していて間も無く打ち切りという『さまよえる魂たち』(1996)状態らしいですが個人的には誠に嘆かわしい。
 実は私、小説だけでなく映画もほっとんど洋画しか観ない事にしておりまして、映画初めがこの『キング・コング』だったんですね。
 昨年の締めに観ようと思ったら映写機の故障で観られず、しかたなくクリス・ナオン監督『エンパイア・オブ・ザ・ウルフ』(2005)という金返せ的映画を観て落ち込んでいた気分も一新、溜飲を下げたのが『キング・コング』であります。
 まぁ世間的な評価は大衆からも特撮マニアからも「ビミョー」と言われ凡作としての位置づけが確定しそうな『キング・コング』でありますが、流石は鬼才ピーター・ジャクソンと言える作品に仕上がっております。この長い文章をここまで読んだ方ならもう確認するまでも無いでしょうが『ブレインデッド』(1992)、『乙女の祈り』(1994)のピーター・ジャクソンであります。まぁ世間的には『ロード・オブ・ザ・リング』(2001)のピーター・ジャクソンでしょうがあれは『キング・コング』の為の布石だった、という事が今となっては良く解ります。『ロード・オブ〜』もかなり良く出来ているとは思いますが。


 では何故、ピーター・ジャクソンの『キング・コング』が素晴らしいかという所で本題に戻りますと、1933年度版、1976年度版の『キング・コング』という二つの作品を観た後で、小説も読むと初めて解ります。このある意味、荒唐無稽な物語がよく出来た非モテサーガとして完成しているという事を。
 今回の映画化にあたりまして、各社から文庫が出ているんですな。
 紹介するにあたってちょっと迷いましたが、文庫でさほどの価格でもないしと思いまして早川文庫NV版(訳者:尾之上浩司)、創元推理文庫版(訳者:石上三登志)の二冊を購入しました。この他に、角川文庫版(訳者:各務三郎)、単行本として集英社から(文庫もあり)、さらに偕成社からも出ているようですね。集英社版は田中芳樹が書いていまして、今回は残念ながら未読ですが機会があれば読んでみようかと。



キング・コング

キング・コング

キング・コング

キング・コング



 個人的なお勧めは尾之上浩司(知らなかったけど、キル・ビルにも出てきたサイレン曲で有名な『鬼警部アイアンサイド』の訳者)訳のハヤカワ文庫版。
 巻末の訳者あとがきで今までのほとんどの版が抄訳版であった事、それが何故なのかという事を初めて知りました。このハヤカワ文庫版、妙に女性的な描写でよく出来ている部分がありまして、それが何故だろうと思っていたら作者の一人、デロス・ラヴレスの奥さん、モード・ラヴレスが書いているらしい………という事が明らかに。
 場面における文章のいびつさに意味があるなんて、こんな小説の楽しみが他にありますか?


 話を戻すと(どこからだ?)、ピーター・ジャクソン版『キング・コング』は文学系男子の視点で初めて描かれている作品でありまして、それが妙にツボにハマるのですな。無駄な描写の全てがアイデンティティーの為に費やされているという、大作映画の中の作家性といった時には一番注目しなければならないポイントを解って作っています。この文学系男子の視点について書き始めたら朝までかかりますので割愛いたしますが、『キング・コング』の持つ非モテ要素をディスコミュニケーションという枠内以上に十分に描いています。
 原作ではちゃんと、スカル・アイランドというコングの王国内(要するに引きこもりの場所です)からブロードウェイにおける女性アプローチの変遷、解りやすく言えば非モテの挙動不審が描かれているのですが、バカにも解るようにカール・デナム役にジャック・ブラックを起用してまで人間側非モテを塗りこんだ仕掛けになっています。
 これが、素晴らしい。
 涙が出てくる。


 思い返せば昨年はツンデレ元年であると共に非モテ元年。
 「非モテとは何か?」という事が各ブログにより考察されました。
 『キング・コング』は作品としては、『未知との遭遇』の50メートルぐらい後ろの位置で、非モテ美術館の一部を飾る作品でありますが小説版の妙味をかもし出していたのが夫婦だった(補足しておきますと、これは訳者の推測なんですが)という事には感慨深いものがあります。
 皆さんにも是非、他愛ない冒険小説に見える小説版『キング・コング』を手にとっていただきまして、男女間の歴史的な想いに対して考えを巡らせていただければと思います。

 なお今回、これを書くにあたりまして1933年度版『キング・コング』(ファーストトレーディング発行)のDVDを買ってきまして再見しましたけど、ピーター・ジャクソンがいかにこの33年度版に思い入れがあるか解り大収穫でした。書店店頭でたったの500円(文庫より安いよ!)で手に入りますので、こちらもあわせて観て頂ければ理解が深まるものと思います。画像が荒いとか音が小さいとかいろいろありますけど、値段を考えると決して損ではないです。

 それでは次のあちゃぞう様、「グ」でお願いいたします。