成人式やセンター試験が終わったようなので、何か為になるかどうかという話をしておきます。
ある男にある男から電話があった。
前者の男を前者男、後者の男を後者男としておこう。
前者男は努力の人であった。
仕事を辞め、家族に笑われながら社会労務士の資格を二年連続で落ち、三年目に受かった。
後者男からの電話は、最近仕事がちょっと嫌だ、というものであった。後者男は何気なく言ったつもりだろうが、前者男にしてみれば現実とは全てが真剣勝負であった。
前者男は考えた。後者男は今、流行のニートなのだろうと。
前者男は、パソコンの電源を入れ、両方の人差し指ですばやくタイピングした。名古屋人ならできる事である。どうも、話すのは苦手だ。前者男は会社にいた頃、営業マンだった。人と話すのが苦手で営業マンになった。だが、人にはそれを気づかせてはならない。
そして次のようなMAILを完成させ、送った。全て原文ママである。
昨夜は電話有難う。ほんの少し君の心境を伺えたかな という感じ。やはりメールで
なく「生」のやりとりが一番だと思う。今日にでもそちらに行きたかったが、昨夜の今日なので月末にでもと考えている。
自分自身の気持ちの整理はなかなかできないものだ。しかし、いろいろ人と話し合っているうちに、自分の本音を把握し、そんな中での選択(ベストでなくともベターの)が出来る様になるものと信じています。
もっと自分をさらけ出して、恥じることなく、気兼ねなく、心のヘドロを出して見てください。
わたしが想像するに、今はとにかく何もしたくない〜特に仕事〜という気持ちが一番強いのでは?
俗にいう「ニート」。しかし、これは考えもの。「ニート」が幸せと思うかい?
君も知っているかと思うが、マズローの欲求の5段階
1.生理的欲求
2.安全衛生の欲求
3.帰属の欲求
4.承認の欲求
5.自己実現の欲求
となっていく。「ニート」が満たされるのは1又は、せいぜい2迄だと思う。それは
君にとって今よりもはるかにつらいことではないか?
「仕事」の無いことが実は一番つらいことだと思うよ。仕事(広い意味で。例えばボランティアなどをもふくめて)を通して社会に参画していくことが、やはり幸せなのでは?
問題はどんな「仕事」に巡り会えるかだね。自分に合った、環境の良い、それこそ自己実現の図れる仕事があればこんな幸せはない。これは誰もが望みながらもそんなに容易に手に入れられるものではない。
探し求めつつも、何とか与えられた仕事に取り組んでいるのが現実だと思う。
“我、この道を行く。この道しかなし”
“人生いたるところ青山あり”
皆、自分の選択した道を、自分に言い聞かせながら、歩いて行っている言葉だと思います。
後者男は密かに笑った。
ニートに対して、マズローの欲求の5段階とか持ち出して説得するその理屈っぽさに、思わず笑みがこぼれた。インターネットで検索しなくとも、そらで言えた事は想像に難くない。
こんな男はさぞかしモテなかったに違いない。
その指摘は正しかった。
前者男は、自分が家庭教師をした女学生に求婚した。
彼女の方が根負けして、結婚し、子供を生んだ。
「普段はスーツを着ているくせに、いざというときに、驚かせてくれる」
そんな評判が周囲に流れていたのではと愚考する。
これは、実話である。
余談ですが、私は今年、実家に帰りませんでした。