給湯器の交換が行われております!
歴史的な事実です!
この、変化のない生活において、給湯器の交換が行われるというこの斬新さ。
まさにパラダイム・シフトというのはこういう事をいうんでしょうか。
激しいドリルの音。
ガガガッという鉄板のうなり。
家がひとつの生き物だとして、給湯器はどこに相当するのでしょうか?
ああ、給湯器。
思えば引っ越してきたとき、一番のインパクトで私を出迎えたのだっけ。
101号室から105号室まで、奥に行けばいくほど給湯器が古くなっていく。
その事に妙な感慨と、家賃の相関性を考えたりもした。
大きくて古い給湯器。
冬も夏も、私を暖かくそして時に暑く出迎えてくれた給湯器。
リモコンもタイマー設定もなく、この21世紀にチャンネル方式で温度を変えるという、私の無骨な給湯器。
いとおしさがこみ上げると同時に、惜別の感多く、島崎藤村も『落梅集』で歌ったのはこんな感じではなかったか。
小諸なる 古城のほとり
雲白く 遊子悲しむ
緑なす はこべは萌えず
若草も 藉くによしなし
しろがねの 衾の岡辺
日に溶けて 淡雪流る