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t[diary]ポッド3「文芸批評の今日的役割について」


15:10-16:55
ポッド3「文芸批評の今日的役割について」
パネリスト:東浩紀宇野常寛福田和也大澤真幸前田塁


 早起きしたせいでこのへんで集中力が限界に達してもうメモも何が何だか。


前田「ここ10年間の文芸時評の変化について如何でしょうか」
福田「私に聞くと身も蓋もない事を言うようなのだけど、批評家の仕事はいい人を見つける事。それができない人はダメ。そういった意味では市川(前田塁+)さんは仕事しているじゃない。後はメディアをちゃんと持ってやること。三番目は批評文を書くという事。宇野さんの『ゼロ年代の想像力』は素晴らしいと思うけど、時代を超えたものを書くべき。文芸評論家はそんなに数はいらないんです。一世代に一人で十分です」


大澤真幸「恐らくこの中で一番プロ意識が低いのではと思います。文芸時評が意味を持つのは先ほど福田さんがおっしゃった三番目の批評を書くというのが重要。文芸時評は思想を同時に生み出していった」
福田「ロシアでも中国でも文芸時評は思想とともにあるという方針性があります」


東「最近は批評の存在しない所で仕事をしていたので、今日7年ぶりに会った福田さんが、批評が小説より優れているとおっしゃっているのを聞いて少し驚きました」
 (注:ここ荒い)


福田「石川淳が書いたように近代文学はマーケットでたたき売られるものなので、批評が生き残るのは難しい。小林秀雄はやはり読まれているんですよ」


前田「批評はインターフェースという側面でいうと、アマゾンの短い批評文の中で溺れているこの現状をどう思われますか」
大澤「今ではここでどうということは言えません。例えば宇野さんの『ゼロ年代の想像力』のアマゾンのレビューがひどいんですが、本来的に届かない人に届くほど売れたんだなとは思います」


大澤「表層界と現象界と現実界の中で、想像に日本語が結びつきやすい性質がある」


前田「様々な分野に言及している宇野さんはどうですか」
宇野「日本語はこの時代に生まれた武器だとは思います」


東「ゼロ年代の批評なんていっても福田さんに軽蔑されると思い、また一部二部で話した事と矛盾してしまうので話しません。福田さんは後藤さんのような人は亡びるのではと言いますが、亡びるのはこちらではないのかと思います」


福田「美しい批評文を書く、ということは僕の幻想かもしれない」


大澤「宇野さんの言う「ぬえのような文章にあこがれる」は解るんだけど、それはどういう意味かお尋ねしたいのです。むしろ僕はそういうのに最初あこがれたものの対抗する方向で書いています」
宇野「先ほど、福田さんがそういう人は消えるとおっしゃっていましたが、後藤さんは私や東さんの読者に近いわけですよ。サロン的なものは好みではないのですが、防波堤にはなります」
東「後藤さんのような人が社会学をこう見ているのかということは考えます」


(質疑応答の中で)
「公共性をたもつべきか」
東「小学生にも老人にも届く文章なんてほとんどない。あいさつぐらいでしょう。書くことは狭めることです」


「作品としての批評とは、自立した批評なのか」
福田「批評としての最低条件だと思います」
東「高度なエッセイととらえてもらったほうがいいのでは」
福田「そう言いたくはないですけどね」