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ポッド2「日本小説の現在――現在時の日本小説をめぐって」


ポッド2「日本小説の現在――現在時の日本小説をめぐって」
パネリスト:東浩紀渡部直己池田雄一新城カズマ大森望前田塁


 これはひどいメモ。拾えていない。


前田「今、どうして批評をやっているのかという事について渡部直己さんから、どうですか」
渡部直己「理由は簡単で、高橋源一郎を殺すためです。高橋源一郎は書けない時期から日本の近代作家に沿って回復していき、作家というものをキャラクター化していった。作家という自然的なイメージに頼って書くというのは許しがたい。イメージとして文学を消費している」


渡部「今日は佐藤友哉の『1000の小説とバックベアード』という最低なものを読んでしまったのでそれ以外は褒めようと思って来た。昔はライトノベルというものを全否定していましたが、東さんと話して可能性のないものにも可能性を探っていくという所に惹かれて読んでみようと思った」


前田「描写がなくなっていくというのは小説のジャンル間というものが無くなっていくと思うのですが、そのあたり池田さん、大森さん、どうですか」
池田雄一「私のような教養なしでも評論家ができるようになった」(以下かなりあったが拾えず)
大森望「『あたし彼女。』のような描写がどうなのか以前の、文学に対する極北が出てきた。世の中で小説といえば『流星の絆』の東野圭吾や『チーム・バチスタの栄光』の海堂尊というようなドラマ化しているものである訳で、その状況とここでなされようとしている会話にどうしてこんなに差があるのかと思う。取り上げられる作品に文芸誌的な偏りがあり、それでいいのかという疑問はある」
新城カズマ「自作の立場から何か言えと期待されていると思うのですが、どうやったら100万部売れるのかという所に興味がある。産業としてどうなっているのかという所に。いま東野圭吾の話が出ましたが、もちろん『ホームレス中学生』とかもっと売れている本があり、それがどうしてそうなるのかと」


前田「『サマー/タイム/トラベラー』はボルヘスからの影響もありますが、そういったものの解説、描写を意図的に書かない事が、現在の描写の問題につながるのではと思っているのですが」
新城「読者同士の全く違う思い込みを生んだりという事を意図して、仕掛けをしたりはします」(「邪推力」の事だと思う)


東「純文学とエンターテインメント文学の対立構造は成り立たないです。描写という意味で言うと『涼宮ハルヒの憂鬱』はキョンの一人称で語るので、それは興味深い」
新城「いま検証中なのですが、ライトノベルは本来的には一人称で生み出されるものなのかもと考えています」
 (後ほど、渡部が小説はどうやっても作者本人が書くのだから一人称になっていく、とフォロー)


東「渡部さんが最初におっしゃっていたのは近代文学の枠組みがいったん崩れて、そこから再生していく上でまた前衛から繰り返されていくという事ですよね。僕はそれがライトノベルにもあるのではと思う訳です」


渡部「東君はコミュニケーション志向メディアが台頭したというけど、本来的には描写です。今あるのは点描」


大森「現代小説について語るといった時になると、どこまでが小説かという境界が気になります」
東「お笑い芸人の本や携帯小説は、私=主人公です。「リアル系」でないと小説を書けないという状況があります。携帯小説は読んでいる人の6割が書いているというデータがある。小説と日記の関係がとてもフラットになっている」
新「携帯小説はカラオケだと思う。音楽に合わせて歌ってみた、音響を入れてみたら気持ちがいい、その後、地方のおっさんがCD出しちゃった、という状況」


東「児童文学の講演でパネルをやって興味深かったのはフィクション系男子と、リアル系女子と分かれているという話。東野みたいなあったかもしれないけどウソというフィクションではなく、全くのウソか全くのホントに分かれている」


渡部「困難の生産性に価値を見出さなくてはいけない。サミュエル・ベケットは誰にも真似できない形で失敗することだと言っているでしょう。舞城王太郎とか書いてて楽しい、上機嫌なんでしょう。そうじゃなかったらこんなに厚いの(新潮社『ディスコ探偵水曜日』を書かないでしょう。僕はそういう所に価値を見出せない」


大森「高橋源一郎中原昌也の『中原昌也作業日誌2004−2007』にドゥ・マゴ文学賞をあげたのは割と注目すべきことだと思う。小説ではない、日記に」


渡部「本を読み終わったら走ってしまう、というものがないと。本を読んだら書く、ではなく行動の記号が変わるようなものがなくてはならない」


前田「今の困難は「速度」ではないか」
東「困難を入れると瞬時に通り抜けていくので、まず生き残らなければならない。『キャラクターズ』(新潮社 東 浩紀 / 桜坂 洋・著) はゼロアカ前夜祭みたいなものです。
前田「僕なんかはその速さに拘泥できるものがないかと思う」
渡部「もともと速いんですよ。小説は。あれから三年経ったとか一行でしょう。それに対抗するのが描写である訳で」
大森「テレビでは三分で泣ける話とか、1分のすべらない話とか早い流れですが、あれを利用するようなものはないですか」
東「文芸誌もいろいろやったらいいのになとは思います」


渡部「近代文学以前では人称が変わるとかよくありました。前衛としてやっていない。それが現在でも生きている。青木さんや岡田利規さんを大江健三郎さんが自分の作風の変化とあわせて評価しているのは事件」


東「田中ロミオは自分つっこみなのですがそれを誰が語っているのか解らなくなっているのが興味深い」


渡部「大江健三郎さんは天皇について書いて復活した。『取り替え子(チェンジリング)』(2000年・講談社)の最後で唯一、焦点移動していて評価できる」


渡部「額縁の中の線がどこから美しさを保つかというと、その外側にあるものが中の線を美しくする」


池田「先ほどの外側の話につなげるんですが、古川日出男さんは外側しかない人ですよね」


大森「舞城王太郎の『ディスコ探偵水曜日』は嘘を書くことの困難についての小説で、その誠実さに対して評価しています」


本日

 実は早稲田、当然のことながら10時間も居らず、3コマ目が終わったら集中力の限界を感じたのとちょっとした野暮用があったので帰った。
 その後、ゲストとして阿部和重が来たという事を知ってもう少し居れば良かったなと思った。トヨザキ社長もいらっしゃった訳だし。


 会場と家がすぐ近所なのでバスで一駅、と思って時刻表見たら歩いた方が早い事が判明して、晴れた早稲田通りを歩いて行きました。気分良かった。そういえば引っ越して二回目の更新もしたというのに早稲田側は本当に利用しない。もっと古本とか毎週見てもいいとは思うのだけど。
 もっと迷うかと思ったら割とすんなり到着。


 「お前、奇刊クリルタイとかに書いていてなんで惑星の宇野なんか観に行ってんだよ」と某氏からはボロクソに言われるかもしれないけど、まぁ単に暇だったからというのと市場の寒さがきつくなってきた中で文学はどうなってんのかな批評はどうなってんのかなというのをちょっと見たかったのです。結果から言えば新味は無かったように思いますが、会話を介して自分を整理していく、デフラグしていくのは必要かも。これが行き過ぎると、経験主義になって危険ですが。


 その他、書き残した事など。

 ・生 宇野常寛を初めて見たけど早口でまくしたてるタイプだった。
 ・宇野常寛はちゃんと東に「ヘルシー女子大生」と言われていた(1回だけ)。
 ・宇野常寛は下北沢のオシャレ居酒屋にいるやつは死ねばいいのにと言っていたが、最後に中森明夫が「これだけは確認したい。本当に下北沢行ったことあるの?」と言っていた。
 ・ニコニコ動画と批評の話が出ていて、それが新味といえば新味だった。
 ・次のユリイカ初音ミク特集。なんでもありだな。
 ・松平耕一って人が最前列にいて、2chの哲学板で実況してた。コテハンなのか? EeePCみたいだったけど、小さくていいなと思った。あと実況する人っていうのを初めて見た。
 ・補足 こういう人だった。
文芸空間
http://literaryspace.blog101.fc2.com/
 ・というかここが2chで貼られてた。
【東理論炎上】東浩紀スレッド185【ゼロアカピンチ】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1224405970/



 またE-MONSTERでGPS動画を撮ってみました。
 これは早稲田大学前?のひっそりとしたゲーセン。閉まっていましたが。
 クリックすると「N35.42.34.920/E139.42.58.680」と出てまぁここまで来るとさすがに地図に変化があるようで。
 下の方の講堂の写真とかもGPS地図。
 天気がいいせいか、衛星もつかまりやすかった。

t[diary]ポッド3「文芸批評の今日的役割について」


15:10-16:55
ポッド3「文芸批評の今日的役割について」
パネリスト:東浩紀宇野常寛福田和也大澤真幸前田塁


 早起きしたせいでこのへんで集中力が限界に達してもうメモも何が何だか。


前田「ここ10年間の文芸時評の変化について如何でしょうか」
福田「私に聞くと身も蓋もない事を言うようなのだけど、批評家の仕事はいい人を見つける事。それができない人はダメ。そういった意味では市川(前田塁+)さんは仕事しているじゃない。後はメディアをちゃんと持ってやること。三番目は批評文を書くという事。宇野さんの『ゼロ年代の想像力』は素晴らしいと思うけど、時代を超えたものを書くべき。文芸評論家はそんなに数はいらないんです。一世代に一人で十分です」


大澤真幸「恐らくこの中で一番プロ意識が低いのではと思います。文芸時評が意味を持つのは先ほど福田さんがおっしゃった三番目の批評を書くというのが重要。文芸時評は思想を同時に生み出していった」
福田「ロシアでも中国でも文芸時評は思想とともにあるという方針性があります」


東「最近は批評の存在しない所で仕事をしていたので、今日7年ぶりに会った福田さんが、批評が小説より優れているとおっしゃっているのを聞いて少し驚きました」
 (注:ここ荒い)


福田「石川淳が書いたように近代文学はマーケットでたたき売られるものなので、批評が生き残るのは難しい。小林秀雄はやはり読まれているんですよ」


前田「批評はインターフェースという側面でいうと、アマゾンの短い批評文の中で溺れているこの現状をどう思われますか」
大澤「今ではここでどうということは言えません。例えば宇野さんの『ゼロ年代の想像力』のアマゾンのレビューがひどいんですが、本来的に届かない人に届くほど売れたんだなとは思います」


大澤「表層界と現象界と現実界の中で、想像に日本語が結びつきやすい性質がある」


前田「様々な分野に言及している宇野さんはどうですか」
宇野「日本語はこの時代に生まれた武器だとは思います」


東「ゼロ年代の批評なんていっても福田さんに軽蔑されると思い、また一部二部で話した事と矛盾してしまうので話しません。福田さんは後藤さんのような人は亡びるのではと言いますが、亡びるのはこちらではないのかと思います」


福田「美しい批評文を書く、ということは僕の幻想かもしれない」


大澤「宇野さんの言う「ぬえのような文章にあこがれる」は解るんだけど、それはどういう意味かお尋ねしたいのです。むしろ僕はそういうのに最初あこがれたものの対抗する方向で書いています」
宇野「先ほど、福田さんがそういう人は消えるとおっしゃっていましたが、後藤さんは私や東さんの読者に近いわけですよ。サロン的なものは好みではないのですが、防波堤にはなります」
東「後藤さんのような人が社会学をこう見ているのかということは考えます」


(質疑応答の中で)
「公共性をたもつべきか」
東「小学生にも老人にも届く文章なんてほとんどない。あいさつぐらいでしょう。書くことは狭めることです」


「作品としての批評とは、自立した批評なのか」
福田「批評としての最低条件だと思います」
東「高度なエッセイととらえてもらったほうがいいのでは」
福田「そう言いたくはないですけどね」


本日

 結局これに来ています。会場の入りはまだ半分くらい。


早稲田大学国際会議場(井深大記念ホール)十時間連続の公開シンポジウム
文芸時評と小説
あるいはメディアの現在から未来をめぐって』


ポッド1「文芸メディアの現在――批評的メディアはどうありうるか」
パネリスト:東浩紀宇野常寛佐々木敦中森明夫、山本充、前田塁

http://www.bungaku.net/wasebun/info/index.html#081006

ポッド1「文芸メディアの現在――批評的メディアはどうありうるか」

 いきなり始まる。
 もちろん音楽も何もなし。諸注意とかもなし。何だか授業みたい。もちろんそれでいいと思うが。

東「今日は十時間何も話さないでおこうかなと。十時間生き残る事が目的です」
前「壇上でお弁当も食べるとか」
東「朝ごはん食べてきたからいいですよ」



ポッド1「文芸メディアの現在――批評的メディアはどうありうるか」

 宇野常寛の問題提起文章。誤字脱字いろいろあるかもしれませんが後で修正。

批評に限らず、おそらく活字メディアの文芸コンテンツ、特に純文学はインディーズ化を避けられないだろう。文芸誌ではそこそこに目立つ作家でも初版部数が3000部から5000部といった現状が、端的にそれを示している。だが同時にこの部数は、従来の流通を通さないインディーズ出版では十二分に採算が取れ、相応に話題になる規模であるとも言える。既存の文芸誌に、リベラルさを求めサブカルチャーの書き手たちに門戸を開くこともたしかに重要だ(正確にはそれが特定のオタク系のみではなくサブカルチャー全般に開かれることが重要だ)。しかしより重要なのは、既存の文芸誌という回路以外にも文芸の「場」として機能するメディアと流通システムを完備することにある。問題は、文芸誌の閉鎖性と同等のレベルで流通システムにある。3000部クラスの作家が文芸誌の打順を待つものではなく、勝手に書いて勝手に売り、そしてそれがちゃんと受容され得る流通のシステムと評価され得る批評の場を築き上げること、これが至上命題なのではないか。


 こういうのが会場で配られたのだけど、司会から400文字程度で書いてきてくれとメールが来て、書いたのが宇野常寛だけだったとか。
 宇野常寛は経済からめた話をしつつ、批評の影響について投げかけたかったらしいのだけど、この後の中森にやられる。
 中森明夫によれば完全にボツの文章。

ポッド1「文芸メディアの現在――批評的メディアはどうありうるか」


ポッド1「文芸メディアの現在――批評的メディアはどうありうるか」
パネリスト:東浩紀宇野常寛佐々木敦中森明夫、山本充、前田塁


 例によって全部、個人的なメモなので発言再現ではないです。抜けが多すぎ。
 録音している人がいっぱいいたし、噂が本当ならニコニコ動画にアップされるらしいので、そっちを観るといいでしょう(081021追記:アップはされないみたいです。失敬)。
 あとは公式の方にも「このシンポジウムの内容は、2008年秋刊行予定の「早稲田文学2」に掲載予定です」と書いてあるのでそちらを参照。しかしこういう時に「速さ」というものの問題を感じる。


 東浩紀が徹底的に悪役に徹しているのが可笑しい。
 批評家の社会的影響力と立ち位置、経済が混然としている話。
 最近の状況を解らずに行ったので、もっと宇野常寛がボッコボコに叩かれるのかと思いきや、そうではなかった。東浩紀との関係性は観ている分にはなんだかよく分からなかった。掛け合いは上手く行っていたと思うけど。


中森明夫「せっかく宇野さんみたいな若い人が出てきたのにいきなり景気悪い話で残念。文芸誌とか流通とか言い始めるとヤバい。そこまで守る文芸は何なのかとか、メディアが雑誌で良いのかとか、そういう事を考えた方がいい。でないと袋小路に入ってしまう」


東「いまゼロアカ道場講談社でやっていると言われましたが、正確には講談社BOXでやっている訳です。つまり出来ているのは奈須きのこひぐらしが売れているからです。そういった事は僕と太田君の個人的な信頼関係で可能になる。僕もやりたくてやっている訳じゃない。ただ評論誌が休刊していたりする現状、やらなくてはどうしようもない。ゼロアカを批判する人はほかにどうすればいいのか教えてほしい」


中森明夫がライブなんだから殴ればいい、と言った事を受けて)
東「先ほど中森さんがおっしゃっていた事は正鵠を射ていて、宇野君もいま佐々木君(佐々木 敦)を殴ればいいと思うんですよ」
中「違う、僕は佐々木君が宇野君を殴ればいいと言ったんです」
東「どっちでもいいですよ」


中「小林秀雄以来、批評なんか評価の捏造だよね。3000部でいいじゃないか1万部いかなくてもいい、というのはちょっと寂しい。今年、『蟹工船』で共産党員が1万人入ったのにPLANETSが3000部というのは寂しいじゃないか」


宇「どうしてあんなにゼロアカが叩かれるかというと、はっきり言ってやっかみですよ。僕らだって有名だったら小学館講談社オルグして評論をやりたいです。いわゆる東浩紀しかいなかった問題です」


東「僕と(講談社)太田君みたいに、環境づくりをしろという事です。そして環境に責任を持てという事です。今の評論家はそういうのが全くない。たとえば奈須きのこがつまらないですよと言える評論家は僕くらいですよ。ただし、僕は太田君に話す時にどきどきはします。奈須きのこ竜騎士07の1万分の1も売れていませんから」


ユリイカ)山本充「基本的にはマクロがどうこうは考えていなくって、面白いものを取り上げて行こうと思っています。先ほど宇野さんがPLANETS 3000部だとかでやっているとおっしゃっていましたが、どういう基準で載せるものを決めたりしているのかをお聞きしたいのです」
宇「僕は総合誌が好きな人間なんです。例えば女子高生に『小悪魔ageha』を出すように、ある種のマイノリティに向けて雑誌を出す現状で、となりのタコツボを見せたりしたい。WBの人たちと話していてもぬるいので、そういう人が読むようなものがあるといいと思った。(現状は)プレイヤー不足なんです」


中「プレイヤーを多くして何がいいの」
宇「世の中が活性化するじゃないですか」
中「何がいいかとか言わないとやらないよ。女にモテるとかさ」
東「自己実現したい訳ですよ」
中「?」
東「4年生とか修士の頃とかは僕もすごく楽しかったですよ確かに。書き手と直接話を出来るわけですし。柄谷行人とかにも話しにいって」


中「住み分ける批評をした方がいいと書いたのはあなた(東)でしょう。ぶつかりなさいよ」
東「ぶつかるにしても人数が少ないですよ」
中「ぶつかったら増えるかもしれない」
東「20人とかいればいいですけど、3人とかではまず増やすことを考えないと」


東「これから文系の大学院というのはかなり辛いと思います。図書館はネットがあるでしょう。例えば論文絶対通さないよと言って学生が死んじゃったりしたら、大問題になり相当リスキー」
中「そういった意味では批評家の方がいいと」
東「そうです。自由人同士で飲んで倒れて救急車で運ばれてもそれは自由人同士です」


東「ネット社会において、価値判断がサロン的なコミュニティによって高まることはあり得ない。だから飲み会は全く別なんです。あれはガソリンを入れるようなもので、燃料投下。デリダエクリチュールは一言でいえばひきこもってもOKという話な訳ですよ。それに対して浅田彰さん柄谷行人さんは批評空間だからね」


 (会う事は重要だが、大塚英志と話がかみ合わなかった事に対して)
東「大塚さんとは会っちゃいけないという事がよく分かりましたよ」